ハイキュー‼誕生秘話。古舘春一が遅咲きのデビューから大ヒット漫画家になるまで

週刊少年ジャンプで2012年2月〜2020年7月まで8年半連載された大人気漫画の「ハイキュー!!」

現在公開中の『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』も大ヒット中で、公開から17日間で興行収入50億円を越え、100億円も射程距離になってきました。

「ハイキュー!!」の作者は、古舘春一さんです。

古舘春一さんは「漫画家になる」「バレーボールを題材にした漫画を描きたい」という2つの夢を持ち続け、見事に夢を叶えて大人気漫画家となりました。

会社員を続けながら作品を描き続け、25歳の時に初めて原稿を持ち込みデビューした苦労人です。

今回はそんな古舘春一さんの経歴や「ハイキュー!!」が誕生して大ヒット漫画となるまでの誕生裏話や作品に込められた情熱についてまとめてみました。

古舘春一の経歴

古舘 春一
(ふるだて はるいち)
生年月日1983年3月7日(40歳)
出身地岩手県九戸郡軽米町
高校卒業後は宮城県で過ごす
受賞第14回:トレジャー新人漫画賞佳作『王様キッド』
第61回:小学館漫画賞『ハイキュー!!』

古舘春一さんは中学、高校時代にはミドルブロッカーとしてバレーボール部に所属していました。

高校卒業後は仙台デザイン専門学校に進学し、卒業後は、仙台市内の広告を作るデザイン系の会社に就職して会社員として働き始めます。

会社員と漫画制作を並行しながら、週刊少年ジャンプ編集部に漫画を持ち込んだのは、25歳の時でした。

Tomoちん
Tomoちん

初持込みとしてはかなり遅かったのですね!

この時に持ち込んだ不治の病の少年と本の世界の王様との奇跡を描いた読み切り作品「王様キッド」で2008年、第14回JUMPトレジャー新人漫画賞の佳作を受賞し、公式ウェブサイト上にて作品が掲載されました。

「王様キッド」と「ハイキュー‼」コート上の王様と言われていた影山飛雄と画風が似ていますね!

続けて、2009年に「赤マルジャンプ」にて読み切り作品「アソビバ。」で、漫画家デビューを果たします。

制作の段階では会社員と並行しての作業だったため、体力的にも時間的にもギリギリの限界の中で、なんとか完成させたそうです。古舘春一さんは後に「漫画を描いていて最もしんどい瞬間だった」と振り返っているほどです。

「ハイキュー!!」の セカンドシーズン第15話 のタイトルは「アソビバ」です!春高バレー宮城県予選大会で条善寺高校との試合の回です。
古舘春一さんの漫画家デビュー作品「アソビバ」と同じタイトルというのがファンには堪らないですね!

2009年ホラーサスペンス漫画「詭弁学派、四ッ谷先生の怪談」を読切として掲載。

デザイン会社を退職後の2010年「詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。」を発表し連載デビューを果たします。

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「ハイキュー!!」にも時々ゾクッとするようなホラー的な描写がありますが、この時の経験が生かされていると思われます。

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しかし、完成度の高かった「詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。」ですが、少年ジャンプの作風には合わなかったという評価もあり、残念ながら比較的短い連載で終了してしまいました。

いよいよ「ハイキュー‼」の連載へと続いていきます。

長年の目標「ハイキュー‼」の連載スタート

「詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。」の連載終了後、長年目標であったバレーボールを題材とした漫画「ハイキュー‼」を連載を目指します。

まずは「ハイキュー!!」読切版を2本掲載しました。

そして、読み切り発表から1年にわたる推敲を経て、2012年「ハイキュー!!」の連載がスタートすることになりました。

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-連載する前に1年間もの準備期間があったとうかがっていますが、準備する上で心がけたこと、苦労したことは。
1年間の構想期間を設けたわけではなく、連載作品を決める連載会議に落ち続けてて、ちょうど1年目頃に、やっと会議を通った、が正確です。自分としては、すぐにでも連載してやる!と意気込んで描いていましたが、結果が付いて来なかった感じです(笑)。でも、会議で落とされる事で、何度も話を改良できて、心底良かったと思っています。落とされた時の内容で連載を初めていたら、数ヶ月で打ち切られていたかもしれません。1年間話を改良していく中で、一番苦労したのは、恐らく主人公である日向のキャラクターです。日向の行動に、描いている自分が納得でき、読者にも感情移入してもらえるキャラクターにするため、とにかく日向という人物の掘り下げに苦心しました。

バレーボールマガジン
Tomoちん
Tomoちん

「ハイキュー‼」の連載までには長い道のりがあったのですね。

古舘春一さんは持ち込みを行った当初から担当編集に「バレーボールの漫画を描くのが目標」と話していましたが、担当編集の方に「それだけ大切で思い入れのある題材は経験も実力も万全の状態でやるべきだ」とアドバイスされたそうです。

そこで、必要なステップを踏んでいく必要がありました。

スポーツ漫画では必殺技をドン!と出して相手を倒して…という派手さを全面に出す訳にはいかないので、キャラクターの魅力、リアリティー、ストーリー展開の面白さ、セリフや演出力など、アニメとして総合力が求められるジャンルでもあります。

そこで、古舘春一さんと編集担当者の方の二人三脚で、まずはキャラクターの描き方を、それから演出も覚えていきながら徐々にレベルアップしていき、“いま”というタイミングが来た時に、満を持してバレーボールの漫画を書き始めることを決意したそうです。

Tomoちん
Tomoちん

ずっとバレーボール漫画がやりたくて漫画家となった古舘春一さんに、何とか長く続けられるような作品にしたい!という担当編集の方の絆や情熱があってこそ、名作が誕生したのですね。
個人的にも「ハイキュー‼」は大好きな作品なので、感謝・感謝・感謝です(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

古舘春一が漫画家になった理由とは

幼少期から絵を描くことが大好きで、学生の頃には漫画家になることを決めていたそうです。

古舘春一さんは中・高校時代はバレーボール部に所属し、ミドルブロッカーとしてバレーに熱中していました。

しかし、競合校ではなかったため、良い成績を残せず不完全燃焼で終わってしまったことで未練が残ったそうです。沸々モヤモヤした感情が燻っており、漫画という形でもう一度バレーをやりたくて描き始めたのが「ハイキュー‼」です。

Tomoちん
Tomoちん

古舘春一さんは単なる漫画家になりたいんじゃなくて、“バレーボール漫画を描きたい”という方なんですね!

この頃から「漫画家を目指す」と共に「バレーボール漫画を描くこと」を目標として掲げました。

高校生の頃に初めて原稿用紙に1本の漫画を描き上げ、部活を引退してからはより多くの時間を割いて漫画制作に熱中するようになります。

古舘春一さんの好きな漫画の1つに『ONE PIECE』を挙げています。

「ONE PIECE」のアニメを見て「物事をこんなにはっきり言っていいんだ」「シンプルな言葉をハッキリ言うことはかっこいい」と思ったそうで、セリフに限らず「ONE PIECE」はその後の漫画制作にも強く影響を受けているそうです。

「ハイキュー‼」の中でもグッと心に刺さるセリフやシーンが散りばめられて、胸に迫る生き生きとしたキャラクターたちと彼らから発せられる強いセリフが魅力です。

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まとめ

今回は「ハイキュー!!」の作者である古舘春一さんをご紹介しました。

学生時代から思い描いていた「漫画家になる」という夢と「バレーボールを題材にした漫画を描きたい」という2つの夢を見事に実現させて大ヒット漫画を生み出した古舘春一さん。

バレーボールに魅了された高校生達の胸が熱くなる青春を、リアルに描いた「ハイキュー‼」

現在までのコミックスシリーズ累計発行部数は5,000万部を突破し、現在公開中の『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』も連日記録を塗り替えています。国内外におけるバレーボール人気に大きく貢献する代表作品となりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!