2023年10月始めに肝内胆管がんと診断され、治療を受けていた伊集院静さん。
ダンディーで、厳しくも愛ある筆致で多くの読者を魅了してきた伊集院静さんは、2023年11月24日、静かにこの世を去りました。
売れっ子CM ディレクターから演出家、作家に転じた経歴を持ち、芸能人からスポーツ選手まで“幅広い交友関係”に“数々のベストセラー”。
麻雀、競馬、競輪、カジノなどのギャンブル、ゴルフ、野球観戦、ボクシング、美術鑑賞など多くの趣味を持ち、まさに華やかな文壇の世界を象徴するような生き様を呈してきました。
伊集院静さんの最期を看取った妻の篠ひろ子さんは「自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください」とコメントを発表されました。
まさに自分の流儀を貫き通した最期だったようです。伊集院静さんの考え方、そして人生そのものだったのですね。
プライベートでは3度の結婚をしています。
調べてみると、その結婚生活は、波乱に満ちたものだったようです。
そこで今回は伊集院静さんの結婚歴や配偶者について調べてみました。
伊集院静のプロフィール
伊集院静さんとはどんな人物だったのでしょうか?
ペンネーム:伊集院静、伊達歩
本名:西山忠来
出生名:「趙 忠來」(チョ・チュンレ) ハングル表記では조충래
・日本に帰化した際、西山忠来に変更。
・山口県防府市出身の在日韓国人2世である。
生年月日:1950年2月9日 ‐2023年11月24日(73歳没)
職業:作家、作詞家
最終学歴:立教大学文学部日本文学科
活動期間:1970年代 – 2023年
デビュー作:
『皐月』(1981年)
代表作:
『乳房』(1990年)
『受け月』(1992年)
『機関車先生』(1994年)
『ごろごろ』(2001年)
『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』(2013年)
主な受賞歴:
吉川英治文学新人賞(1991年)
直木三十五賞(1992年)
柴田錬三郎賞(1994年)
吉川英治文学賞(2002年)
司馬遼太郎賞(2014年)
紫綬褒章(2016年)
伊集院静さんは、1950年(昭25)2月9日、山口県で生まれました。
1972年に立大文学部卒業後に、広告代理店の電通に入社。
その後フリーの演出家に、1981年「皐月」で作家デビューします。
「最後の無頼派」と呼ばれ、主な受賞歴は1992年「受け月」で直木賞など多数。
エッセー「大人の流儀」シリーズはベストセラーを果たし、「機関車先生」「いねむり先生」は映像化されました。
また伊達歩の名で作詞家としても活躍し近藤真彦さんの「愚か者」「ギンギラギンにさりげなく」などを手がけました。近藤真彦さんの「愚か者」で日本レコード大賞を受賞。
ジャンルを問わずにマルチな才能を発揮しました。
プライベートでは、伊集院静さんは3度の結婚歴があります。
- 一般人 (妻:1976年?- 1980年)
- 夏目雅子(妻:1984年 – 1985年死別)
- 篠ひろ子(妻:1992年 – )
伊集院静の最初の妻は一般人
広告代理店の電通勤務時代に一般人女性と最初の結婚をします。
2児をもうけますが、1980年に離婚しています。
伊集院静の娘は女優の西山繭子
最初の奥さんとの間に生まれた2人姉妹の次女は女優の西山繭子さんです。
出生前に伊集院静さんは家を出てしまい、繭子さんが2歳の時に離婚しました。
繭子さんには年子のお姉さんがいます。
繭子さんが1978年生まれなので、お姉さんは1977年生まれだと思われます。
最初の奥さんとの結婚時期は不明だったのですが、恐らく1976年前後と思われます。いずれにしても、最初の結婚生活は数年間と短かったようです。
西山繭子さんが父親の存在を知ったのは幼稚園の頃だったそうです。
母親から「この人がお父さんよ」と新聞の写真を指さしたのが伊集院静さんでした。
離婚後、保険の外交員として働き2人の娘を育てたそうです。
1970年代、まだまだ女性が社会でバリバリ働くことが難しかった時代に、子供を2人抱えて一家の大黒柱として働くのは、精神的、肉体的、金銭的に苦労されたかもしれません。
しかし、母親からは、お父さんは“ハンサムで男らしい”と褒め言葉しか聞いたことがないそうです。
そのため、西山繭子さんは伊集院静さんに対して、恨みや憎しみを持つようなことはなかったそうです。
最初の奥さんは良く出来た方だったのですね。
伊集院静の2番目の妻は夏目雅子
2番目の妻は言わずとしれた夏目雅子さんです。
実は…夏目雅子さんとは不倫の末の結婚でした。
伊集院静さんは、電通時代に知り合った一般女性と結婚して女の子が誕生していましたが、1977年、27歳の時、CMディレクターとして、カネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMを担当した際、仕事を通して夏目雅子さんと出会います。
当時はまだ無名のモデルだった夏目雅子さん(当時は「小達雅子」名義で活動)をイメージキャラクターに起用すると、この化粧品が大ヒットしました。
このCMがきっかけに注目を集め、芸名を“夏目雅子”へと改名し、一躍スターダムにのぼりつめます。
「夏目」の芸名は、クッキーフェイスのCMが夏をイメージするものだったことによるそうです!
夏目雅子との馴れ初めは?
このCMでの仕事がきっかけに2人は不倫関係に陥ります。
伊集院静さんは2人目の娘の出産前に家を飛び出してしまい、1980年に離婚しました。
1984年に夏目雅子さんと再婚します。
伊集院静さんと結婚して、幸せそうにインタビューに答える夏目雅子さんが印象的ですね。
実は、この頃、伊集院静さんは女優の桃井かおりさんとも関係を持っていて三角関係だったようです。
夏目雅子さんは、桃井かおりさんに伊集院静さんを取られまいと、結婚を決めたと言われています。
ただ、夏目雅子さんは結婚するまでの7年もの不倫関係の間に、何度も妊娠しては堕ろすということを繰り返していたそうです。
かなり衝撃的な事実ですね。
長く秘密にされてきたが、伊集院静さんが2人の関係をモデルに描いた小説「乳房」で暴露して以後、夏目雅子さんの母親である小達スエさんの「ふたりの雅子」などにも書かれるようになりました。
夏目雅子さんの母親であるスエさんは結婚に大反対だったそうですが、夏目雅子さんの決意は固いものだったそうです。
やっと幸せを手に入れた夏目雅子さんでしたが、結婚して5ヶ月目に体調を崩し、急性骨髄性白血病と診断されます。
療養生活から8ヶ月目にして、1985年9月11日に肺炎を併発し帰らぬ人となってしまいました。
伊集院静の3番目の妻は篠ひろ子
1985年、夏目雅子さんが他界すると伊集院静さんは自分の不甲斐なさを責め、自暴自棄な生活を送るようになります。
生きることも死ぬこともどうでもよくなり、借金を繰り返しては、喧嘩、ギャンブル、酒浸りと、荒れた日々を送ります。
しまいにはアルコール中毒になり、入院を余儀なくされます。
友人たちの助けもあり、次第に生きる意欲を取り戻し、作家への道を歩み始めることになります。
1992年に「受け月」で直木賞を受賞します。
夏目さんの七回忌を待って、同年に篠ひろ子さんと再々婚しました。
伊集院静さんにとっては3度目の結婚です。
篠ひろ子さんと夏目雅子さんは姉妹のように仲良くしていたそうです。
結婚が明るみとなった際には都内で別々に会見。
滞在中のホテルで取材に応じた伊集院静さんは「1か月の半分は旅、半分は小説を書くためにホテル。家もなにもない」「つくづくオレも悪い男だなと思いますよ」とキザな発言を残しますが、どこまでもダンディーで、女性にモテるのがわかるような気がしました。
当時44歳だった篠ひろ子さんは「44年間、生きてきてよかった」と幸せそうに語っています。プロポーズは「僕の生まれたところを見に来ませんか」だったことも明かしています。
篠ひろ子との馴れ初めは?
篠ひろ子さんとは、夏目雅子さんを偲ぶ会で、夏目さんのお兄さんの妻で元「キャンディーズ」の田中好子さんから紹介され、知り合われたそうです。
夏目雅子さんの7回忌が済んだことと、「直木賞」受賞を一つの区切りとして再婚を決意されたそうです。
結婚する時には、篠さんの両親に夏目雅子さんのことは書かないと約束したそうです。
しかし、2011年3月に「東日本大震災」が起こると、
大きな別れを経験した人に、あなただけが悲しいわけではないと伝えたい。
そこで経験したものが力になり、その人の中で亡くなった人が生きていると伝えたい。
と思うようになり、これまで封印してきた夏目雅子さんの想いを伝えたいと思うようになります。
2017年には「さよならの力 大人の流儀7」を出版されています。
妻である篠ひろ子さんはもちろん、篠さんのご両親、そして、夏目雅子さんのご両親の後押しもあったようです。
伊集院さんは、
あふれるほどの悲しみを抱え込んだ人の痛みを和らげたかった。
自分が雅子さんを亡くした時にどうだったかを語っておくことは、
作家として必要なことなのかもしれないと思った。
と、大切な人を亡くした人々を癒やしながらも、自分自身の魂を癒やす作業でもあったようですね。
篠ひろ子さんとの結婚後、しばらく住む都内のマンションで一緒に暮らすも、その後は篠ひろ子さんの故郷である宮城県仙台市に引っ越し、愛犬とともに静かに暮らされていました。
篠ひろ子さんは女優業はもう20年以上遠ざかっています。
夏目雅子さん、篠ひろ子さんの結婚会見を拝見すると、「この人と結婚出来て良かった!幸せ!」という気持ちがこちらにも伝わってきますよね。
最初の奥さんも妊娠中に若手女優と不倫されて離婚に至ったのに、お子さんの前で悪口を言わなかったなんて…なかなか出来るものではないですよね。
娘である西山繭子さんも「父は私の理想の男性。体育会系な文科系と言ったらいいのか。男として魅力がある。完全にほれています」と言ってはばかりません。女優になったのも芸能界に入れば父親に会えると考えたからだそうです
伊集院静さんのモテる秘訣や人間的魅力を垣間見られる気がしますね。
まとめ
伊集院静さんの結婚歴や配偶者について調べてみましたが、とても波乱に満ちていました。
不倫、堕胎、三角関係などこんなにスキャンダラスな話題に尽きなかった伊集院静さん、今の芸能界だったら完全にアウトですよね…。
人として、男性としては道徳的には許されないことをしてしまった伊集院静さんですが、不思議と伊集院静さんとか変わった女性からは恨み節は聞こえません。
失敗、傲慢、自分勝手な一面もあったでしょうが、もしかしたら、篠ひろ子さんが最後に語った通り、伊集院静さんは自由気ままに生きただけで、自分の気持に素直な方だったのかもしれまんね。
改めて、伊集院静さんのご冥福をお祈りします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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