「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られ、艶っぽくハスキーな歌声で「演歌の女王」と呼ばれた歌手の八代亜紀さん。
2023年12月30日に演歌歌手の八代亜紀さんが急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが公式サイトで発表されました。
73歳という早すぎる逝去にショックを隠せません。
また大御所にも関わらず、奢らず優しい人柄から多くのファン、芸能人、スタッフから愛されていたことがわかるように続々と悲しみの声が届いています。
八代亜紀さんが亡くなった死因は急速進行性間質性肺炎ですが、この聞き慣れない急速進行性間質性肺炎とは一体どんな病なのでしょうか。
八代亜紀さんの経歴や歌声も併せて振り返りたいと思います。
八代亜紀さんのご冥福を謹んでお祈りします。
八代亜紀さん 逝去
2023年8月下旬に体調不良で複数の病院を受診したところ、免疫異常の一種である膠原病にかかっていることが判明しました。
2023年9月12日には活動休止することを公式サイトで発表しました。
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この炎症が主に体のどこで生じるかによって膠原病の種類が決まります。
たとえば関節で炎症が起こっている場合には“関節リウマチ”という病気になりますし、皮膚や腎臓、中枢神経系の組み合わせとなれば“全身性エリテマトーデス”と呼ばれます。
女性に多い理由は明らかになっていませんが、膠原病の発症には遺伝的背景と何らかの環境因子が複合的に関わっているといわれています。
2023年9月12日、年内の活動休止を発表した際に「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆様とお会い出来る日を楽しみに頑張ります!」と綴っていました。
しかし、その願いは叶わず…
2023年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去されました。
葬儀は関係者で行い、後日、お別れの会を開く予定だそうです。
歌を愛し、人を愛し、常に感謝の思いを大切にして慈愛に満ちた人柄で多くの方に愛された八代亜紀さん。
最後まで周りのスタッフ、そして病院の関係者すべての人に「ありがとう」を伝えていたそうです。
自分の病気で辛い中でも他人への感謝の気持ちを忘れないとは、どこまでも優しかったのだろうと思います。
あの優しい笑顔が見られなくなるのはとても淋しいですね。
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八代亜紀さんの死因“急速進行性間質性肺炎”とは
急速進行性間質性肺炎とは急速な呼吸状態の悪化をきたす間質性肺炎を指します。
間質性肺炎は肺胞間の間質と呼ばれる壁の部分に炎症が起こる肺炎の一種で、肺の末端のぶどうの房のような肺胞を取り囲んでいる壁(間質)に炎症が起き、その炎症部分を修復する過程で線維化が起こり、間質は厚くなり肺が縮みます。
呼吸困難が強くなり酸素が取り込めずに進んでいきます。
炎症を引き起こす原因は「じん肺」「薬剤」「放射線」「カビや鳥に対してのアレルギー反応」「膠原病」などさまざまで、原因不明のケースもあります。
悪寒、咳、息切れ、発熱などの症状があり、全身性疾患となって死亡するケースもあります。
芸能人では、
- 美空ひばりさん
- 上岡龍太郎さん
- 陳建一さん(料理人)
が間質性肺炎で亡くなっています。
八代亜紀さんの波乱万丈人生
父親の浪曲を子守歌に熊本県八代市で生まれ育った八代亜紀さん。
中学を卒業して数ヶ月バスガイドとして働きましたが、歌手の夢を諦めきれず、地元のキャバレーでマイクを握ります。
その後、父親の反対を押し切って家出同然で上京し、その後、銀座のクラブ歌手になりました。
同じクラブで歌っていた五木ひろしさんの紹介で歌手デビューをします。
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『全日本歌謡選手権』を10週連続勝ち抜いて業界の注目を集めました。
八代亜紀さんはハスキーボイスがコンプレックスだと語っていましたが、それこそが他の歌手にはない唯一無二の魅力でした。
120万枚を売り上げた1973年発売の「なみだ恋」。
その後「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発します。
1979年に新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒットし、1980年に発表した「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。
八代亜紀さんの代表曲として今も歌い継がれる名曲です。
「港町絶唱」と合わせて「哀憐三部作」とされ、NHK紅白歌合戦では2年連続大トリを務めました。
“演歌の女王”と称されるようになり、情感を切々と歌う八代亜紀さんの演歌には熱狂的なファンがつきます。
プライベートでは、1994年に5歳年下のマネージャー増田登氏とハワイで結婚しました。
逆プロポーズだったようで、プロポーズの言葉は「お嫁さんになってもいいよ」だったそうです。
八代亜紀さんらしいお茶目なプロポーズですね!
仲の良かった夫婦でしたが、八代亜紀さんの古希と歌手生活50周年の区切りを迎えた2021年に離婚に至りました。
歌手活動だけに留まらず、画家としても活躍しており、とても多才な方でした。
元画家志望だった父親の影響により、小学生の頃は将来画家になるのが夢だったようです。
水彩画の他に写実的な油絵を描くことにハマり、フランスの由緒ある「ル・サロン」展に1998年から5年連続入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員)になるなど活躍。
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まとめ
2023年12月30日に演歌歌手の八代亜紀さんが急速進行性間質性肺炎のため死去されました。
特徴あるハスキーボイスで哀愁ある演歌を次々にヒットさせ、切ない女心を歌ってきた八代亜紀さん。今、聞いても色褪せない名曲ばかりです。後世にずっと歌い継がれていくでしょう。
さらに、顔の表情そのままに優しく、驕らず、常に感謝の気持ちを持っていて、色々なボランティア活動を行ったり、地元の熊本県の発展やPRに貢献したり、とても慈愛に満ちた方でした。
その人柄を偲んで多くの芸能人が悲しみのコメントを送っています。
73歳は若過ぎて、お別れするには早く、とても残念です。
改めて、八代亜紀さんのご冥福をお祈りします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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