俳優の賀来賢人さんが主演・原案・共同エグゼクティブ・プロデューサーを務め、2014年2月15日から世界配信がスタートしたNetflix「忍びの家 House of Ninjas」。
大谷翔平選手が真美子夫人と結婚した際のインタビューで、最近の夫婦のお気に入りとして名前が挙がったのが「忍びの家 House of Ninjas」でした!
世界的ヒットを巻き起こしているNetflixオリジナルシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」で、俵家と敵対する風魔一族の辻岡洋介の片腕である“あやめ”は、一際異彩を放つ存在感で目が離せません。
このあやめ役を演じてるのは仲万美さんです。
一体、どんな俳優さんなのでしょうか。
調べてみると、マドンナのワールドツアーに同行するなど一流ダンサーとして名を挙げていました。
そんな仲万美さんが、なぜ俳優に転身したのか気になります。
今回はなぜ仲万美さんは世界的一流ダンサーから俳優の道へ志したのか、その意外な理由について調べてみました。
「忍びの家」眉なし忍者のあやめ役は誰?
仲万美さん
あやめは、山田孝之さん演じる新興宗教・元天会の教祖であり、俵家と敵対する風魔一族の辻岡洋介の片腕として活躍する忍びです。
初登場シーンから“眉なし”、“黒髪ロングヘア”という怪しく個性的なルックスでその存在感をいきなり発揮した仲万美さん。駅で男をナイフで脅す姿は思わずゾッとしてしまうほどの恐怖を感じ、強烈なインパクトを残しました。
しなやかで華麗なアクションシーンにはSNS上では「動きが美しい!」「見惚れた!」「かっこよくてハマります!」とその妖艶な魅力に目が話せない人が続出しています。
後述しますが、仲万美さんはトップダンサーとして活躍してきただけに、体の使い方や見せ方を熟知されています。殺陣やアクションは初めての経験でしたが、忍びとしての華麗なアクションはもちろんのこと、「見せ方(魅せ方)」の表現力の高さはさすがだと思いました。
どういう経緯で「忍びの家」の出演が決まったのですか?
オーディションです。
大体のストーリーと、Netflixさんで配信されるのは教えていただいたんですが、ここまで大きい作品だとは思っていなかったです。
どんなオーディションだったんですか?
20~30人ぐらい女性がいて、最初にお芝居の審査をやって、次にアクションの審査に移りました。その場でアクション部の方が殺陣を幾つか教えてくださって、それを実際にやるんですが、その場にはデイヴ・ボイル監督もいらっしゃいました。
仲万美のプロフィールや経歴
仲万美のプロフィール
名前 | 仲万美 |
読み方 | なかばんび |
本名 | 中山美菜 |
生年月日 | 1992年6月1日(31歳)※2024年時点 |
出身地 | 熊本県 |
万美と書いて「バンビ」という名前がユニークですね。
バンビという呼び名はいつから?
中学生の時、5人の女の子のダンス仲間とニックネームの話しになったときに友人から常にぴょんぴょん跳ねている様子から“ディズニーのバンビに似ている”と言われたのがきっかけ。
初めは仲間内の呼び名だけだったのが、名前だけが外のグループにも飛び火していき、本名よりニックネームが定着していったようです。
確かに覚えやすいかも!
仲万美の経歴
5歳:ダンスを始める
母親が熊本でミュージカルダンサーをしており、プロを目指す途中で仲万美さんの父親と出会い、夢半ばで挫折。そんな母親からダンスを勧められたことがきっかけ。
ジャズダンス、タップダンス、ヒップホップと習い始めるものの、当時はやらされている感じで練習が嫌で仕方なかった。
中学1年生:ダンスのやる気スイッチが入る
本気でダンスと向き合うようになったのは中学1年生の時。
2歳年上のお姉さんは何をやってもできる人で、ダンスも上手く「お姉ちゃんに負けたくない!」と思ってからやる気スイッチが入る!
16歳:ダンサーとしての仕事が入るようになる
ダンサーとしての仕事は単発で、バイトと掛け持ち。
19歳:BoAのバックダンサーを務める
これを皮切りに椎名林檎さん、加藤ミリアさんなどのバックダンサーの仕事が入るようになる。
“好きだからやっている”だけで、「バックダンサーになりたい」「有名になりたい」という夢は一切なく、ダンスがただただ楽しい、好きだからやっているうちに、気が付いたら一流のアーティストのバックダンサーを務めたいた仲万美さん。
加藤ミリヤさん、椎名林檎さん、BoAさんら著名アーティストのバックダンサーとして注目を浴びましたが、自ら望んで手に入れた仕事ではなかったそうです。
華やかな経歴に反して、こう言い切れてしまう仲万美さんがカッコイイ!
2013年:Aya Satoと出会い「Aya Bambi」としてユニット活動開始。
2014~2016年:NHK「紅白歌合戦」で椎名林檎のアーティストダンサーを務める。
2015年:YouTube投稿がきっかけで、マドンナのワールドツアーに同行。
2016年リオデジャネイロオリンピックの閉会式にて、日本のプレゼンテーションに参加
2019年:『チワワちゃん』で映画デビュー
実力は当然ながら、縁や運も味方してトントン拍子に世界のステージに立ち、ダンサーとして輝かしいキャリアを誇る仲万美さん。
しかし、順風満帆なダンサー時代の裏で…
- 「どうして自分はダンスをやっているんだろう?」
- 「生活のため?」
- 「地位のため?」
- 「名誉のため?」
と突き詰めていくと、こんなはずじゃないという葛藤や悩みが多く、いつの間にか大好きだったダンスが嫌いになっていったのです。
仲万美がダンサーから俳優に転身した意外な理由とは
ダンサーとして大きな転機となったのは2015年マドンナのワールドツアーに同行したことでした。
「Aya Bambi」のダンス動画をYouTubeにあげたところ評判になり、マドンナの娘がたまたま見ていたらしく、マドンナからメールが届いたそうです。
YouTube投稿がきっかけでマドンナのワールドツアーに参加出来るなんて、一見するとサクセスストーリーですが、仲万美さんは違ったようです。
「苦痛でした。当時は英語が話せなかったので、もう地獄でしかなかったです。聞こえてくるのが全部英語で、自分が思っていることも言えない状況。何回泣いたかってくらい、結構大変な思いをしました。でも、日本人ダンサーの方もいらっしゃったので、『万美ちゃんおいで~』とケアしてもらっていました。それから少しずつ英語でもコミュニケーションが取れるようになって、楽しく過ごしてはいたんです。でも、やっぱり私の居場所はここじゃないと1年半ずっと思っていました」
Stream
ワールドツアーは約1年半、約80カ国を回るツアーであり、バックダンサーとしての仕事を全うしました。
バックダンサーとしてずっと同じことをやっているので、目をつぶってでも踊れるようになり、本気で踊ることもなくなってしまったそうです。
・バックダンサーとはメインの後ろの飾りであり、スポットライトは当たらないことに疑問を感じるようになる
・ダンサーという職業はただ楽しく踊っていた延長線でなっただけで望んではいなかった
・ユニット活動したり、ワールドツアーに同行したり、強い願望やきっかけがなく流されてしまっただけ
・職業としてのダンサーにストレスを感じてしまった
・わちゃわちゃ遊びながら踊ることが好きだということに気が付いた
ダンスを嫌いになりたくなかったから
人から見ると、なんて順風満帆な…なんて幸運の持ち主なんだろうと羨ましくも思えてしまうことでも、仲万美さんにとっては職業としてのダンサーは、ストレスでしかなかったのです。
ダンサーになりダンスで有名になることで、お母様の夢を叶えられたので恩返しは出来た仲万美さんですが、これ以上はダンスを嫌いになりたくないという理由でダンスを辞める決心をしたそうです。
周りは反対する声もあったそうですが、自分の人生の選択は自分でする!という強い気持ちで辞める選択を貫きました。ダンサーという肩書きをおろしたら、ダンスが好きになったと語っている仲万美さん。
自分の意思や想いに素直であることは、そうしたくても難しい場合もあります。仲万美さんは打算的ではなく、芯の強い女性だと思います。
新しい道を歩み始める勇気を出すと同時に、映画『チワワちゃん』のオーディションに参加しないかというオファーがあったそうです。
女優としては『チワワちゃん』で映画デビューした後、『ドリームズ・オン・ファイア』で初主演。その後も『偽りのないhappy end』『Sleepless』などに出演し、今回の「忍びの家 House of Ninjas」のあやめ役に繋がっていくのです。
まとめ
今回はなぜ仲万美さんは世界的一流ダンサーから俳優の道へ志したのか、その意外な理由について調べてみました。
その理由とは「ダンスを嫌いになりたくなかったから」でした。ダンサーとしてストレスを感じたり、悩んだり、葛藤した日々もあったようですが、今ではそのダンススキルが演技に幅を持たせ、表現力を豊かにしていて、仲万美さんの大きな武器となっているようです。
1つの分野で大成したり、努力したり、打ち込んだことは、その過程含めいつか大きなチャンスをもたらすと思いました。
女優としての仲万美さんの今後の活躍に期待したいですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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