門倉有希の旦那(夫)は金田大!過去には恋人から監禁&失踪の波乱人生まとめ

2024年6月6日、ヒット曲「ノラ」で知られる歌手の門倉有希(かどくらゆき)さんが乳がんのために亡くなりました。

2019年9月、自身のブログで乳がんに罹患していることを公表し、闘病を続けながら再びステージに立つため治療に専念してきたものの、5年4ヶ月に及ぶ闘病生活の末に、残念ながら力尽きてしまいました。

2024年2月にデビュー30周年を迎え、2024年5月22日に歌手生活30周年記念のベストアルバムをリリースしたばかりでした。

まだまだこれから多くの楽曲を届けて欲しいと願っていましたが、50歳と若くその死を悼む声が多く上がっています。

そんな門倉有希さんですが、独身キャラのイメージがありましたが、実は結婚していて、その旦那(夫)様は、所属する事務所の代表で金田大(かねだまさる)さんと言います。

愛する旦那様や可愛がっている猫ちゃんたちを残して逝ってしまった門倉有希さんを想うと、より悲しみが深くなりますね。

門倉有希さんのが残した数多くの名曲には、まさに門倉有希さんの生きざまが凝縮されていました。門倉有希さんのハスキーな声で歌うことで、歌詞がより叙情的になり、メロディーはより哀愁たっぷりに聞こえます。

そこには、門倉有希さんが体験した壮絶な体験がもとになっていることが分かりました。

過去には恋人からの監禁失踪事件過食症など…、波乱万丈で困難な時期を過ごしていたのです。

そこで、今回は門倉有希さんの波乱万丈な人生について振り返りたいと思います。

門倉有希 乳がんにより逝去

2024年6月6日、歌手の門倉有希さんが亡くなられました。

弊社所属の歌手、門倉有希が2024年6月6日 午前5時30分、乳癌の為、永眠致しました。

これまで応援してくださったファンの皆様、関係各社の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます。

昭和48年12月1日生まれ 享年50歳

2019年2月に乳癌が発覚し5年4ヶ月間、闘病生活を続けながらステージに立ち続けてきましたが一昨年12月から体調不良でお休みを頂戴し、今年はデビュー30周年、もう一度ステージに立つ為、治療に専念してまいりましたが6月6日に永眠いたしました。

1994年2月23日『鴎…カモメ』でデビューしてから支えて頂いた関係者の皆様、暖かいご声援を頂いたファンの皆様、そしてここまで門倉有希の治療をサポートして頂いた医療従事者の皆様にこの場をお借りして心よりお礼申し上げます。

30年間、門倉有希を応援、支えて頂いた皆様、本当にありがとうございました。

株式会社門倉有希音楽事務所
代表取締役 金田 大

門倉有希オフィシャルHP

門倉有希さんの命を奪った乳がんですが、その闘いは5年4ヶ月にも及びました。

門倉有希さんの闘病歴

2018年夏頃:
胸部に異常を感じるものの、市販の薬を服用しながら仕事を行う

2019年2月
貧血で倒れる。検査で乳がんが判明し入院
主に放射線治療を行う

2019年6月:
コンサートで復帰
その後は週に1度の抗がん剤治療を継続

2022年12月:
「金沢明子&門倉有希Xmas ジョイントランチショー」をもって音楽活動を休止

その後は入退院を繰り返す

2024年2月:緊急入院

2014年6月6日:逝去

Tomoちん
Tomoちん

50歳なんて…若すぎます。

門倉有希は既婚者で旦那は金田大

後ほど、触れますが門倉有希さんは、若い頃に男性関係で色々ありました。

その為なのか、長年“独身”を貫いてきましたが、病気をきっかけに長年交際していた方と結婚をしていました。

その方とは所属事務所の社長である金田大(かねだまさる)さんという方です。

2015年:結婚願望はなし

2015年のインタビューでは、結婚はあまり考えていないと話されています。

今は、結婚などもあまり考えなくて、それよりも、いい年のとり方をしたいなあと思うんです。女性は、年齢を重ねることをネガティブにとらえたり、閉塞感を持つ人もいますが、新しいチャレンジをどんどんして、胸を張って40代を生きていきたいなと。

2016年:未婚で彼氏はいない

2016年4月15日放送の「爆報!THEフライデー」に出演された門倉有希さん。

番組内で、結婚はしておらず彼氏がいないことが放送されていました。

爆報!THEフライデー

乳がん発覚後に金田大氏と結婚

2019年2月に乳がんが発覚した後は、長年交際していた男性で、現在の所属事務所の代表取締役である金田大(かねだまさる)さんと結婚されます。

バラエティー番組では独身をネタにしていましたが、2019年に長年交際していた金田大さんと結婚。

交際期間については分かりませんでしたが、長年交際されていたようですから、乳がんと診断を受けて、「恋人」から「夫婦」になり、一緒に病に闘っていく決意のようなものを感じますね。

2021年には金田大さんを個人事務所代表に迎え、病を克服しまた歌手としてステージに復帰出来るまで、まさに2人3脚で公私ともに闘病生活に立ち向かっていたのでしょう。

門倉有希さんにとって旦那様は心強い存在であったに違いありません!

Tomoちん
Tomoちん

門倉有希さんは小動物介護士の資格を持つなどネコ好き。
9匹の猫ちゃんを飼われていたそうです。

Tomoちん
Tomoちん

きっと闘病生活で辛い時も猫ちゃんに救われたこともあったのでしょうね。

門倉有希の波乱な人生とは?

ここでは、門倉有希さんの波乱万丈な人生について振り返っていきたいと思います。

門倉有希のプロフィール

門倉有希さんは福島県出身。

祖父が歌好きだったこともあり、幼少期は実家の酒店の地下倉庫で歌って過ごし、初めて歌ったのは3歳の時で、西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」でした。

1994年、20歳の時に『鴎…カモメ』でデビュー。“都はるみ2世”と期待されました。

1996年、第六回NHK新人歌謡コンテストで『女の漁歌』を歌い、グランプリ受賞。特典により、その年の第47回NHK紅白歌合戦に出場。

1998年、8枚目のシングル『ノラ』が80万枚を超えるロングヒットとなる。

2019年2月、乳がんが発覚。

2019年9月18日、自身のブログで乳がんの治療を行っていたことを報告。

2024年2月:デビュー30周年を迎える。

2024年5月22日:歌手生活30周年記念のベストアルバムをリリース。

2024年6月6日、乳がんのため逝去。享年50歳。

恋人による監禁、洗脳、失踪、芸能界引退、拒食症

1994年10月19日に門倉有希さんは一時芸能界を引退しています。

水着写真集も出版するなど、異色のアイドル演歌歌手として人気を博した門倉有希さん。

しかし、人気上昇中に“失踪”をしてしまいます。

当時、所属事務所は精神的疲弊(過労)を理由としましたが、各マスメディアからは「男性と失踪した」「引退」というセンセーショナルに週刊誌に書き立てられました。

しかし、2016年4月15日放送された『爆報! THE フライデー』にて、1994年秋に芸能活動を突然休止したのは、当時付き合ってた男性から監禁DVを受けていたことが原因であることを話されています。

その彼氏は、門倉有希さんが15歳の時に出演したオーディションで知り合った同じ年の出演者で、高校卒業後に上京し同棲を始めたそうです。

デビュー後、どんどん忙しくなっていく門倉有希さんに対し、優しい恋人だったはずの男性は束縛を強め、それは次第に暴力へと発展していきました。

彼氏による監禁・DVとは

「逃げたら殺す」などと脅された

約束の時間に3時間遅れ帰宅すると衣装を切り裂かれた

殴られ顔から血が出るほどの暴力を受けた

仕事に行こうとすると、包丁を突き付けられ仕事に行くなと言われた

24時間監視される監禁生活

食事はカップラーメン

脱出を試みるも失敗した時は殴られた

Tomoちん
Tomoちん

優しかった恋人が一転暴力男に豹変して、怖かったことでしょうね。

監禁7日目に公衆電話から実家に電話し助けを求め、男性の不在時を狙ってマンションから逃走し、脱出に成功。

このストレスで、門倉有希さんは一時拒食症になり、体重は57kgから39kgまで減ってしまいました

さらに、週刊誌などのバッシングに遭い、芸能界から追われ、拒食症に苦しむ日々を送り辛い時期を送っていました。

その時に心の支えとなったのは、捨てられていたという愛猫のリボンでした。

そうして出合った「ノラ」という曲。

Tomoちん
Tomoちん

まさに“運命の歌”ですね!

1998年に発表されたこのカバーシングルは80万枚のロングヒットとなり、門倉有希さんの代表作になりました。

こちらの動画では情感豊かに「ノラ」を歌い上げる門倉有希さんがご覧いただけます。

門倉有希さんにこんな辛く大変なことが身に降りかかっていたとは思いませんでした。

門倉有希さんの波乱万丈な人生を知って聞くとまた聞こえ方が変わってくるようです。

しかし、辛い過去も歌うことで昇華されていたのかなと思えるほど、門倉有希さんの歌う曲は哀愁があり、力強さがあり、優しさがあるように思えます。

まとめ

今回は門倉有希さんの波乱万丈な人生についてご紹介しました。

デビュー直後に、当時の恋人から「監禁」「洗脳」「暴力」を受けた挙げ句、マスコミには「失踪」「引退」と書き立てられるなど辛い経験をしましたが、愛猫に癒やされながら運命の楽曲「ノラ」と出会いました。

門倉有希さんのハスキーな声で歌う哀愁たっぷりの曲は、まさに門倉有希さんの酸いも甘いも噛み分けた生きざまや経験が凝縮されていました。

だからこそ聴く人の心に染み、心が震えるような感動を感じるのでしょうね。

長い闘病の末に力尽きた門倉有希さんですが、歌声はずっと長く人々の心に刻まれていくことでしょう。

最後に門倉有希さんのご冥福をお祈りします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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