2023年7月、札幌市ススキノのホテルで、62歳の男性が殺害後に首を切断され、頭部を持ち去られるというショッキングな殺人事件が起こりました。
この事件で、田村瑠奈(たむらるな)被告とその父親の田村修(たむらおさむ)被告、母親の田村浩子(たむらひろこ)被告の3名が逮捕されました。
殺害後に被害者の頭部を自宅に持ち帰ったり、逮捕されたのは一家全員であったり、いびつな家族の関係性が見えたり、続々と衝撃的な事実が明るみになっています。
実行犯とされる田村瑠奈被告は、両親に自らを「お嬢さん」と呼ばせて、定職にもつかず、家庭内で好き勝手に振る舞っていたことなど異常な家庭環境が事件の背景にあることが浮かび上がってきました。
正直、ゾッとするのは私だけでしょうか…。
一体なぜ、田村瑠奈被告はこんな人物になってしまったのでしょうか。
そこで、今回はなぜ田村瑠奈は極悪非道な犯罪を起こすような多重人格でサイコパスになったのか、その理由について迫ってみたいと思います。
ススキノ頭部切断事件とは
まずは、“ススキノ頭部切断事件”について時系列にまとめてみました。
2023年5月
クラブ「キングムー」のイベントで出会い意気投合し、ホテルへ
→避妊をせずに性行為をしたことに怒りを覚える(殺害動機)
2023年6月中旬
すすきので被害者を父親と捜索し、7月1日に再会の約束を取り付ける
2023年7月1日
被害者とクラブで合流。ホテルへ行き殺害
2023年7月2日
死体発見
2023年7月24日
田村瑠奈被告、田村修被告を殺人と死体遺棄などの容疑で逮捕
2023年7月25日
田村浩子被告を同容疑で逮捕
2024年2月28日
3人の鑑定留置を終了
2024年年3月6日
3人を以下の罪状で起訴
田村瑠奈被告を殺人と死体損壊、死体領得、死体遺棄の罪
田村修被告を殺人幇助などの罪
田村浩子被告を死体損壊幇助と死体遺棄幇助の罪
2024年6月4日
田村浩子被告の初公判
田村瑠奈被告はクラブ「キングムー」で出会った被害者と意気投合し、誘われるままカラオケ、ホテルに同行し、性行為に及びました。
しかし、男性が避妊をしなかったため、田村瑠奈被告が指摘したところ男性に誤魔化されてしまったそうです。
その後、田村瑠奈被告は父親に医療機関に連れて行ってもらい、アフターピルを処方してもらうものの、強い怒りは収まらず…。
すすきので被害者を捜索し探し出すと、7月1日に会う約束を取り付けたと言います。
殺害に至った動機は、避妊をせずに性行為をしたことでした。
男性を捜索し、殺害に及んだ行為はかなりの執念を感じますね。
そして7月に再会した男性を殺害、殺害後は首は切断されていました。
自宅に持ち去られた被害者の頭部は、田村瑠奈被告により皮膚を剥ぎ取り、眼球、舌などが摘出されました。
さらには、その様子を父親にビデオ撮影させるなど、亡くなった後も被害者の尊厳を凌辱したまさに想像に絶する異常な殺人行為が行われました。
人間の為せる業でしょうか…。
まるでサスペンス映画を見ているような、そんな錯覚に陥ります。
田村瑠奈はなぜ多重人格でサイコパスになった?
原因①両親の娘ファーストによる溺愛
母親が31歳、父親が30歳の頃に誕生したのが瑠奈被告です。
両親が結婚した年齢は不明ですが、子供を持つには早すぎることはありませんが、決して遅いわけでもない年齢です。
しかし、待望の我が子であったのか…。
1人娘の田村瑠奈被告を幼少の頃から叱ることなく溺愛し、 成人後も望むものを全て買い与えていました。
家族の中で田村瑠奈被告こそが一家のトップであり、両親は常に娘の機嫌を損ねないようにしており、まさに奴隷のような存在でした。
・自宅は瑠奈被告の物やゴミで溢れかえり、足の踏み場もない状態
・父親は自宅ではなく駐車場で寝泊まりしたり、ネットカフェで過ごす
・母親は常に瑠奈被告の機嫌を伺い、毎日のように娘の様子をSNSで父親修に報告
・欲しい物や食べたい 物を聞いて、仕事帰りに父親がに買って帰る
・瑠奈被告の所有物の向きが異なると叱責
・自分の物を触られることを極端に嫌がる
・父親が運転中であっても、その首を絞めて自分の怒りをぶつけた
・ゲームセンターやクラブなどまで車で送迎し、夜通し遊ぶ瑠奈被告に徹夜で付き合う
・母親は「私は奴隷です」という誓約書を書かされ、リビングに飾られる
・両親に自分のことを「お嬢さん」と呼ばせる
・母親は「彼女」と呼ばれていた
・母親は「熟女系の風俗に売り飛ばせ、そのアマを」と暴言を吐かれる
・父親は「ドライバーさん」と呼ばれていた
親であれば、我が子を大切に想い、愛する気持ちはごく自然に芽生える感情です。
しかし、この度合いが深すぎたり、極度に偏ったものであったりすると、子供の成長過程において特に「心」や「精神」を鬱屈させてしまったり、影響を及ぼす可能性がありそうです。
原因①多重人格
田村瑠奈被告には多重人格の気があるようです。
小学校2年の頃から学校を休みがちになり、中学入学後は不登校になります。
高校には入学したようですが、通った様子はなくその後退学したようです。
一時、フリースクールに通うも、18歳頃から自宅で引きこもり、自殺未遂くり返すようになり「田村瑠奈は死んだ」と言い始めました。
「自分の死体に複数の人格が入り込んでいる妄想」=「ゾンビ妄想」を抱き、自分が田村瑠奈である認識がなくなったそうです。
田村瑠奈被告自身は「ルルー」や「シンシア」などと名乗ります。
両親には自分を「お嬢さん」と呼ばせ、田村修被告を「ドライバーさん」、田村浩子被告を「彼女」と呼ぶようになり、「ジェフ・ザ・キラー」と名付けた妄想上の恋人との会話を繰り返すようになりました。
精神科医である父親は、どこかの段階で田村瑠奈被告を救うことは出来なかったのでしょうか…
精神科医であるがゆえに、周りに娘のことを相談しづらかったのかもしれませんね。
田村瑠奈の狂気的なエピソード
田村瑠奈被告の狂気的なエピソードをいくつか紹介していきます。
- 中学時代から人体に興味を持ち、頭蓋骨の模型などを家に展示
- 『目玉入りカクテル』というメニューがある怪談バーに通っていた
- SMプレイに興味を持ち「女王になりたい」とSM関連グッズを購入。父親を練習台にする。
- 刃物の収拾癖があった
週刊文春では、瑠奈容疑者が小学生時代に同級生に起こしたトラブルについて報じています。
「小5の時に同じクラスで、ある時、瑠奈の服装を『アニメのキャラみたいだな』と茶化したら、急に筆箱からカッターナイフを持ち出して、追っかけてきて。馬乗りになられて首にカッターを突き付けられたんです。そこで周りの友達が止めに入ってくれたけど、瑠奈は『次言ったら刺すからな』と。本気で刺されると思いました。今でも鮮明に覚えています」(瑠奈容疑者の小学校時代の同級生)
文春オンライン
田村瑠奈の両親はなぜ娘に逆らえなかったのか?
浩子被告は、瑠奈被告から
「お嬢さんの時間を無駄にするな。私は奴隷です」
「立場をわきまえて無駄なお金を使うな」
という趣旨の誓約書を書かされ、奴隷のように扱われても、反論せず従っていました。
修被告も瑠奈被告から「ドライバーさん」と呼ばれ、 ゲームセンターやクラブなどまで車で送迎し、夜通し遊ぶ瑠奈被告に徹夜で付き合っていました。
両親は瑠奈被告を叱ることはなく、謝り、その怒りが収まるのを待っていたようです。
瑠奈被告が圧倒的な上位者であり、わがまま放題に振る舞い、両親は奴隷扱いをされても叱ることはせず「娘ファースト」のいびつな親子関係が形成されていました。
では、なぜ田村瑠奈の両親は娘に逆らえなかったのでしょうか。
【推測】娘に逆らえなかった理由①娘を溺愛しすぎていた
まず1つ目の推測としては、純粋に娘を溺愛し過ぎていたからという理由です。
娘を溺愛するあまり、どんなにわがまま放題でも叱ることはしなかったのではないでしょうか。
「叱らないこと」が「愛情」だという歪んだ愛情表現がゆえに、いつしか自分たちの異常な親子関係も気が付きにくくなってしまった可能性が考えられます。
【推測】娘に逆らえなかった理由②怒りを収める唯一の手立てだった
田村瑠奈被告は、些細なことでも両親を咎め、その怒りのまま運転中の父親の首を締めてしまうほど、怒りの感情をコントロール出来ていない節があったようです。
しかも、多重人格であり、その複数の人格の中には男性もいたかもしれません。
60代の両親と比べたら、引きこもりではありましたが瑠奈被告の方が圧倒的にに体力は上回りますし、一度暴れたり、怒りだしたらそれを収めるのは非常に困難であったのでしょう。
いつしか、瑠奈被告の怒りを収める手立てが、どんなに理不尽な要求でも逆らわずに従うことになっていってしまった可能性が考えられます。
【推測】娘に逆らえなかった理由③精神科医としてのプライド
田村修被告は精神科でした。
自分の専門分野であり、精神科の医師であるのに、自分の娘が不登校になり、引きこもり、精神的に不安定であることは、周りに隠したいことであったかもしれません。
娘の言う事に従って、自分さえ我慢していれば、周りから見たら普通の家族に映る。そういう想いから、娘を叱ることなくすべて受け入れてしまった可能性があるかもしれません。
精神科医としてのプライドであったり、医師としての評価に関わることであり、それらを振り払って、もっと早く周りにSOSを出していれば、もしかしたら違う未来も描けたかもしれない…そういう「もしも」を考えてしまうと辛いですね。
異常な家族関係が露見。両親も被害者と言えるのか
田村家の異常でいびつな家族関係。
母親の初公判が始まったばかりですが、こういった異常性が露見されるに至り、母親や父親の裁判の行方にも影響が出そうな気配です。
事実、「死体遺棄ほう助」と「死体損壊ほう助」に問われている母親の田村浩子被告は起訴内容を否認し、無罪を主張しています。
特に父親である修被告は、瑠奈被告の犯行に付き添うようにして色々と協力しており、「殺人幇助」などの罪に問われています。
- 犯行当日、瑠奈容疑者を車で送り迎えしていた
- 事件前、自宅近くの量販店でおもちゃの手錠やスーツケース、のこぎりなどを購入
- SMプレイの練習台になる
- 事件後には近所のコンビニやスーパーで、大量の氷を購入
- 瑠奈被告が被害者の頭部に触れた時の様子を動画撮影
いくら娘に逆らえなくても、医師としての良心で止めてほしかったです。
両親の裁判の判決についても注目ですね。
怒らない親に育てられた子はどうなる?
田村修被告、田村浩子被告のように我が子を怒らないと、子供にどういった影響があるのかについて調べてみました。
怒らないことで子どもにどんな影響がある?
社会で生きていくためには「何をどこまでやっていいのか」というルールを学んでいくことが必要です。
特に、まだ未熟な子どもへの影響は大きく、もし親が「子どものやりたい気持ちを大事にしたい」「子供を傷つけたくない」という気持ちを優先させ、本来、怒るべき場面をも大目に受け入れてしまうような場合、以下のような影響が考えられます。
- 我慢ができない
- 言うことを聞かない
- 気持ちの切り替えが苦手
- 気持ちの自制がきかない
- 否定に弱い
- やってあげるより、やってもらう気持ちが強い
- 人間関係でのトラブルが多い。
心理学的に望ましい「怒る」とは「知らないことを教えていく」ことだそうです!
子供の初めての社会的繋がりである家庭において、社会の基本的なルールやマナーを教えていくのは、両親の務めですね。
田村瑠奈被告の両親は、娘を可愛がる気持ちが「怒らない」という間違った方向に流れてしまい、ただただ我儘を許し、溺愛するだけになってしまいました。
その結果、一般社会では通用しない人格(サイコパス)を生み出してしまったのかもしれません…。
ポイントは“どのように怒る”かである
「怒る」「叱る」とは「子どもがまだ知らないことを教えていく」という感覚に近いです。
それは、怒るか怒らないかではなく、どのように怒るかがポイントです。
成長過程にある子どもたちはまだまだたくさん知らないことがあります。
それを教えてあげることがきっと親の役目であり、責任でもあるでしょう。
筆者には、6歳、10歳の甥っ子がいます。
目に入れても痛くない程、溺愛していますが、悪いことをしたら叱ることは常に意識しています。
何がイケなかったのか、どうしたら良かったのか、次はどうしようかなど、頭ごなしではなくアドバイスに近い感覚を心がけています。
自分自身、幼い頃に両親に怒られて泣いたり、悲しい気持ちになったり、その当時感じた気持ちも分かるので、感情的にならず、“教えていく”という感覚は非常に腑に落ちます。(時にカミナリを落としてしまいますが(笑))
筆者は独身ですが、今回の殺人事件を通して「子育て」の難しさという部分も感じました。
まとめ
今回は、なぜ田村瑠奈は極悪非道な犯罪を起こすような多重人格でサイコパスになったのか、その理由について迫ってみました。
幼児虐待などもそうですが、「家庭」「家族」という非常にプライベートな空間でのことは、周囲からは見えづらく、何がどのように進行しているのか分かりづらく、事件や事故が起きてから世間に明るみになることが多々あります。
まして、田村瑠奈被告のように長い時間かけて、家族3人でしか分からない関係性、葛藤、苦悩もあったのでしょう。
田村瑠奈被告がなぜ多重人格でサイコパスになった?のかについては、今後、鑑定を経て判明することと思いますが、両親による娘ファーストの溺愛したことが、田村瑠奈被告は被告の性格や考え方に大きな影響を及ぼしたことには間違いなさそうです。
被害者のご冥福をお祈りしたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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